【中島優子ヒストリー】第2話~葛藤の保育士時代~
【中島優子ヒストリー】第2話
大好きな保育士は天職だと感じ、毎日、楽しくお勤めをしていた保育士時代
子どもたちと何をしていても本当に楽しかった。
ただひとつを除いては・・・
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トイレトレーニング
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これが私にとって本当に心が痛くなることだった。
入園して集団行動を送るうえで、おむつをしていることで集団で動けないこともでてくる。
4月中にとっておきたいな~とトレーニングを始める。
でもね。子どもたち、私に出会ってまだ間もない。
そんな私とトイレにいくことはどうなんだろう。
ただでさえ、トイレ自体が怖いと思っている子どもたちばかりだった。
家庭で取り組んでもうまくいかなかった子どもたちばかりだから仕方がない。
それでも、全体の保育のことを考えたら行かざる終えなかった。
一人のトイレに付きっきりになる時間がそんなに十分にとることはできない。
「あ~なんとか家庭でできないものか。」
「せめて嫌いにならないで欲しい。」
それでも、保育というのものは園で行うという姿勢に変わりがなかった。
私がなんとかしなければ・・・
一生懸命に過ごしてきたご両親の気持ちを考えると園で対応することがベストだという判断になった。
トイレ問題は私の問題となったまま時間が過ぎていった。
起業のきっかけとなる出来事
2年が過ぎたことだろうか・・・、私が起業するきっかけとなることが起きた。
いや・・・もはや起こしたともいうべきだろうか
子どもたちの物事に向かう姿勢
できるできないに関わらず、イキイキチャレンジする子ども
どんなことも初めまして状態で、消極的な子
お箸にはさみ、折り紙などやったことがない子が毎年数人いた。
その子どもたちの共通点は・・・
誰よりも取り組みスタートに時間がかかった。
そしてその後も劇的にやる気が爆発する・・・なんてことはなかった。
ある日、その一人が給食のヨーグルトの蓋を開けられないようで手を膝においたまま過ごしていた。
本来、素敵な保育ならば・・・声をかけるべきなのかもしれない。
私はこっそりと観察していた。
「この子はこのままどうするのだろう。」
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結局、最後までこのままだったので聞いてみた。
「食べる?」
「開けられないの?」
「・・・うん」
たった3歳の子を目の前にして私はこんなことを考えていた。
「この子は将来どんな子になるのだろう。
主張しなくて、自分らしく生きていけるのだろうか。」
「ほしい人生は手に入るのだろうか?」
そして・・・お母さんはこの現状を知っているのだろうか???
当時は分からなかったが、今ならわかることがある。
どうして当時の私はこんなことを考えていたのか・・・
きっと・・・それは、私もそちら側の子どもだったからだ。
自分の想いはあったんだろうけど、完璧主義の母親の元
母親の言うとおりにしていたほうが私にとって都合が良かったからだ。
何かを主張しても、やんわり
「こっちの方がいいんじゃない。」
「お母さんはこっちのほうがいいと思うな。」と言われる度に
否定されているわけではかったのだろうが・・・
自分の意見に自信が持てなくなってきてしまっていた。
だから・・・きっと当時の私はこちら側の子どもたちが気になって仕方がなかったんだと今ならわかる。
子どもたちの様子とその母親の様子の観察を続けながら・・・
それと同時に厳しい勤務に大葛藤するようになった。
誰のための保育なんだ・・・と。