ココロ豊かな丁寧な暮らしとは??
このところ、カモが遊びに来ているので
朝からステキな景色を見せてもらっています。
今日は市の支援センターに出張講座に行ってまいりました。
すべて把握しているお母さんが良いお母さんなのか
教室生や講座で出逢った方に相談を受けることのひとつについて書いてみます。
「子どもに何が起きているのか親だから知っていないと・・・」
「聞いておかないと・・・」
これ、本当に多いご相談。
これを聴くたびに・・・
親として共感はするが心が苦しくなる
それ・・・本当にそうなのか???
親都合で聞き出される会話って楽しいのだろうか。
大好きなお母さんのもとに帰宅してすぐ
こんな話からスタートして毎日心が潤っているのだろうか。
幼児教室をしているけれど、私は勉強に重きを置いていない。
子どもたちが本当にやりたいこと
自分が願っていること。
他の誰も知ることのできない自分のココロ
そのココロを大事にして幸せな人生を送って欲しいと思っている
そのために、小さなころから自分の心の声と対話していくことを大事に!!
そんなことを考えながら、園から帰宅した会話
とっても大切だと思うんだけどなー。
こどもたちが何を考え、どう過ごしたのか
仕事のように即、報告!!
報告の会話や尋問による会話が親子の会話なんだろうか?
息がつまってしまわない?
まずは・・・一緒に手を繋ぎ
草花を見て、ともに季節を感じたり
空や空気、太陽、雲など今、今日しか見れないもの
今しか感じられない感情
共有した時の表情
ココロ穏やかな時間になるはずだよ。
狭い視点で物事を見て
お母さんの価値観の中での会話
親子の幸せな会話は自然を感じるような感覚に似ている
まるでいつもいつも目の前のテレビやゲーム
スマホの中の会話について延々と続けられてるような環境から
玄関をでると自然を感じて解放された感覚
味わったことあるかなー?
園や学校で頑張ってきている子どもたち
そんな解放された環境で会話をしてほしいなーーーと思います。
枠のない中での会話
きっとお母さんも毎日、子育てをずっと頑張ってきた枠が知らずうちにあるんだよね。
そんなお母さんが肯定も否定も関係がなく
解放された環境での会話を一度、実感されると心地よさが分かるかな?
どうしても子育て中は、価値観の合うお友達と過ごすことが多くなりがち。
ある日、息がつまりそうな生活の中にいた私に向かってお友達が言ってくれた言葉
「どんなあなたでも大好きだよ。」
本当に救われた一言だったんだ。
良いお母さんで、良い妻で、良い嫁で、良い娘で良い先生でいなくてはならない。
そんな息苦しい生活をしていた私は、どうしていいのかわからなくなった時期を経験している。
なんのために私は存在しているのだろう・・・
何のために生まれてきたのだろう。
毎日の様に問いかけて生きていた時期があった。
それでも、こんな私に〇を出してくれる。
そんな友人がいたこと。
私は初めて気づいた。
私自身が、こんな風にマルを出せていなかったんだって。
それからというもの、どんなことも良い!!
私と意見が違おうが、生き方が違おうが
当たり前ですべて良いということ
すーーーーと目の前が晴れてことを今でも思い出す。
まるで無関心・無感情のように見えるかもしれないが
(実際にそう言われたこともある・・・笑)
その反対
すべて受け入れることができるようになってきた。
良い子の息子も悪い子の息子もそれは私たちのジャッジの中行われる。
そのどちらでもなく、それが今の姿であり、今の感情である。
そう考える息子たちが愛おしい。
私たち大人の意見を押し付けること。
私たち親を安心させること
私たち親が知っている世界の中での行動
先生たちのいう良い子
世間でいう良い子
こんなこと、まったく意味がないと思っている
今、子どもたちが感じていること、見ている景色を共有できることがすべての喜び
だとしたら、「今日はどうだった???」なんて聞く必要もない。
それは、子どもたちのとって過去であり
話したい、共有したいと思ったときに話してくれたらいい。
そんなスタンスでいるだけで、思春期真っただ中の子どもたちは
毎日たくさん話をしてくれる。
昨夜も塾から帰宅した次男が聞いてもいないのに
テストの様子を良くも悪くも聞かせてくれる。
毎日、外で頑張ってきている子どもたち
お母さんの元に来た時には
関から狭い空間に取り込むのではなく
自然の中で深呼吸したような・・・
そんな会話からスタートしてほしいな~~と願っています。